この数日、時間を見つけて強行追跡調査をやっていたにもかかわらず、なかなか尻尾を捕まえることが出来なかったのだが、たった今ゲットですw やはり、案の定なんですが、作詞のRaUとは藤圭子自身だった。こうあるほか無い結論は「男と女」を聴いて拙者の内では直ぐに下されていたのである。ついに事実を手繰り寄せたからにはきっぱり書きますが、これは凄い現実なんだよ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hikki/filepage2.htm宇多田一家のおのおののステージネームは、ママの圭子さんは、RaU。パパの照實氏は、SkingU。そしてHikkiは、H゜IKASOU(画家のピカソからもじった。)
まぁ先日拙者書きましたとこ(→
明け方に藤圭子「男と女」)、かなりいい筋を引き寄せてたと思っとります。藤圭子がらみでもう少し書くことあるなぁ。21世紀の藤圭子「男と女」、歌謡曲史上どんな歌手も出来なかった恐るべき事象発生というべきである。(PS: 1997年リリースなので「21世紀前夜の」とか書くべきだったかw)
PS:
宇多田ヒカル台頭前夜にかけての、宇多田家ユニットがらみのRaUこと藤圭子の録音は意外と多いではないか。そもそも60年代末からの藤圭子の実質活動期間は10年ほどに過ぎない。全くのインディーズユニットの中心ボーカルから発進したいわば第二期藤圭子が、その半分にあたる5年ほどを後年費やしていたということだ。その間の記録をざっと追跡すると、前半が宇多田家三人のインディーズユニットでのリリース、後半が藤圭子単独でのリリースと更に二期に分かれる模様である。
前半の宇多田ユニットU3のたたずまいをこちらで見ると、昭和の大歌手藤圭子ボーカルとは誰も思わない普通のインディーズCDである。
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U3ディスコグラフィーが、以下サイトにある、宇多田ヒカルの過去域を手繰るパース上でのメインアルバム「STAR」へのレビューを読む限り、その視線にやはり藤圭子の重さが奇異に映っていることは確実である(笑。特に前者は、宇多田ヒカル世界の延長を意図していたにもかかわらず、大きく期待を裏切られてることにやるかたない心理を文面にただよわせている。だがRaUの(ある種耐え難い)重苦しさの意味を否定しきれない不可解さをも抱えているところを実に興味深く読んだ。肯定的な言い回しである後者も同じアンビバレンツを含んでいる。
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STAR♪U3Amazon カスタマーレビュー STARU3の末期に藤圭子の分離路線が展開し、さらにその末期に宇多田ヒカルのデビューが来るという構図である。この時期はまさに宇多田ヒカルが世を席巻していく前夜数年にあたる。意外と多くのリリースを重ねていたこの時期の藤圭子側の活動は、程なく「宇多田ヒカルの母」という一語の背景に隠れてしまったというわけである。しかしU3離脱後の藤圭子単独展開は最終炸裂「男と女」に向けての重要な模索過程であったと見なければ成らないだろう。「男と女」の前年に3枚のリリースがあり、内2枚は通常歌謡曲大御所に曲を作ってもらっている。その歌詞を確認すると、やはり視点が昭和歌謡の結界を脱することはできていない。その(昭和由来の)古さ側に藤圭子の重さは再び吸収され、それでは誰もが安心して70年代藤圭子の延長に盤を積むだけのことになるのだ (補足: ただ「天国」は聴いたが、これは通常の歌謡曲枠に照らして十分次元の高い内容であった)。残る1枚「冷たい月」はRaU作詞であるが、企画が宇多田ヒカルがらみのためか視点に明確さがない。さらにこれより前に、RaU作詞のリリースがあるが、これも歌詞の視点は昭和の残光に引き込まれていることは否めない。
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藤圭子のヒストリーここいらまでの追跡調査でイメージしてるところをざっと書いとこう。「男と女」に向けての第二期藤圭子において、U3からの離脱は「(場たるアメリカにおいても)ついに重量を拡散できなかった歌手藤圭子という宿命的存在」が「個への再凝縮」に反転することであったと読むことが出来よう。その離脱プロセスはより古い昭和日本の磁場に舞い戻り位置を安定させつつ動き出したようだが、それは「男と女」の言わば「かつて見たことのない異様な手口」において大どんでん返しを引き起こす下準備のようなものだ。静かに匕首を・・・・という感じである。それは昭和歌謡がこぞって大勘違いしその上に膨大につまれている虚妄の「女」の総体に、藤圭子の歌唱がただ一点でつりあいを取ってしまう「特別な重量の反転」と言うことである。
PS2: これは興味深い。19才藤圭子の談話
当時本人歌ってる曲の筋書きは演じる対象としてのみあったことは確実です。これぞ神がかり。にしてもあの歌唱の主がこんな少女だったとはなぁ。今の加護ちゃんより若いんですが(超汗
上述の補足
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藤圭子デビュー直後に連発される曲群を覆う筋書き総体は、非常に戦略的に石坂まさをがディレクトしていたという。石坂は、少女阿部純子(藤圭子本名)の可能性の途方も無さを見抜き確信し、自分の専属したレコード会社を辞してまでも、妥協抜きで路を見出そうとしたという。感動的なその実態がこちらに書かれてあった。↓
http://www.ringohouse.com/starFiles/keiko_Folder/keiko.html当時二十歳にも満たない阿部純子には、石坂が全身全霊を込めて描く"劇場"を一人演じ答えることが全てだったに違いない。阿部純子の勤勉さと女優能力の凄さをもここにあらためて理解したところである。石坂が表わそうとした「男世界に現れている女(虚像)」と少女阿部純子による「(その虚像を受けて)女優的に現実化する女」の完璧な連動がそこにあった。しかし、個の女性たる阿部純子にとって、男領域の主観により徹底して計画されたものである(に過ぎない)「藤圭子」とは、自分にぴったり重なった虚像の女と常に感じられていたことは間違いない。上のyoutubeの藤圭子(というかまさに阿部純子である)の言い方にはその意が明確に表出している。
余談: ところがその後これ↓みてがっかり(笑 まぁやっぱ虚像を追う男世界の悲しい限界というべきか。まぁ昭和歌謡の限界でもある。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1235008408/PS3:
こちら様、妙に家庭内事情まで詳しいのだが、
藤圭子についてまぁここメモっとく必要あり。やっぱね(笑 まぁ奥村ちよも当時あの炸裂具合でありながら、後年ほとぼり冷めてから同じこと言ってるわけだが、この人に至ってはリアルタイムで周りに豪語していたのである。(あるいは上のyoutubeの発言か?)
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洋楽好きで、ど演歌路線がイヤだったらしい。「好きで歌っているんじゃない。仕事で歌ってる」発言で、歌謡界の大御所に嫌われてたらしい。
あとここ、五木博之が絡んでるのがドヒャってな感じで興味深い砂ぁ。まぁ宇多田家ユニット以前に一回再デビューして失敗した時の話だが、まぁここの人が書いてる通りでしょうね。なんせ五木博之の場合、ここいらから先は、昭和歌謡と戦後日本の合体形で全てを内的に完結させ締めくくる為の最終過程を送るのである(
参考過去記述分)。現在NHKラジオ深夜便で盛んですが、まぁ全く時代のダイナミズムからずれちゃいましたね、遥かに。締めくくろうと思ったらその対象は全部はじけて勝手にどんどん始まっちゃってるみたいな。まぁやはり歴史はそんな安直を人に許しませんな。あたりまえですけどね。まぁ本人が納得して締めくくれれば十分なんでしょうけどね。実の日本国民はそれどこじゃない。
話し戻します。
要はそういうことなので、藤圭子のぶっとび具合を五木博之が的確に処置できる訳が無い。愛の水中花って具合には行かないのである。とはいえ、ここで中途半端な過去路線焼き直しに成功してなくて結果オーライであった。五木博之グッドジョブと言うべき(笑
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1981年 芸能界復帰
藤圭似子の名前でドラマ「新海峡物語」に主演。テレビ朝日、毎週木曜夜10時、本人をイメージする役柄・役名だった。共演、芦田伸介、近藤正臣、樋口可南子、原作五木寛之 同時に主題歌シングル「蛍火」をCBSソニーから発売。
前作「海峡物語」(77年放映)で新人歌手売り出しに賭けた「艶歌の竜」こと高円寺竜三(芦田伸介)が、今度は引退した歌手・藤圭似子のカムバックにかかわってくる実録風ドラマ。(まるで梶原一樹原作のプロレス漫画のようだ) 低視聴率のため13回の予定が11回で打ち切られる。
民衆の怨歌VSアメリカナイズされた音楽ビジネス、ちゅう構図だったが、これが失敗。
1979年には毎日放送製作のドラマシリーズ「木曜座・水中花」原作・五木寛之、主演松坂慶子、主題歌も大ヒットしていたが、既に五木は時代遅れすぎた。
デビュー当時の藤圭子の歌を『怨歌』と名付けたのは五木寛之。そのため、彼女の歌の幅を狭めてしまった感があるが、さらに再デビューのこの件で、私は五木が嫌いだ。
これも笑う。
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男性歌手の持ち歌を、女の私が歌うから無問題という理屈で、先輩歌手の歌を勝手に歌っちゃっう仁義を知らない「わがまま娘」でもあったのも一因。カバー曲が元歌(先輩)より凄かったというのも妬まれる原因に
実際そのとおりで、拙者など藤圭子内で言っても持ち歌よりカバー曲のが好きである。「ララバイ東京」「東京流れ者」あたり。「怨み節」なんかもあらゆる意味においてヤバイです(笑 まぁ何聴いてもバケモノ的にうまいんだからしょうがないです。
posted by コマプ墨田 at 18:10|
日記