2010年05月25日

画狂老人卍的世界 プレ-キュビズム絵画の確立

遠近法の妙を最大駆使するところ、為一期までの集大成である「富嶽三十六景」に区切りをつけて、画狂老人卍期北斎は「遠近法解体再構築」というまったく新しい造形上の着眼を携え、その時期の初期作である実験性の強い「富嶽百景」を経て、やがて論理上の完成度の高い「百人一首うばがゑとき」に着手するのであります。北斎はこの作品群において、「ポスト遠近法」にあたる数種に分類されようところの北斎独自の新絵画理論を確立させるのであります。

「百人一首うばがゑとき」で明確な完成を認められる西洋モダンアートに先行する北斎の絵画的着眼は、見るところ大きく三種類に分類できる模様です。

@ 遠近法が画面全体で一環しない断片的再構成(=プレ-キュビズム)
A平行透視空間と一点透視空間を強引に組み込む再構成
Bモチーフの平面的幾何学処理と統合再構成

これらは作品ごとに要素がかぶったりします。また、シリース中、作品においてはかなり通常の遠近法を用いてる場合もあります。錦絵と版下画、および現物が存在しないもののコピーとして原構図が認められる作例もあり、これら合わせて89枚において現在このシリーズの絵画構成を掌握できるわけです(「百人一首うばがゑとき」ピーター・モース著 岩波書店)。「富嶽百景」「百人一首うばがゑとき」に明らかな卍期北斎の新規コンセプトが、如何に為一期までの成果に自ら対峙拮抗する挑戦的内容であるかは既に提示してあります(→こちら)。その展開として、北斎がここで完成させた美術史的に更に重要な絵画理論を明確にする作例を示す必要を、ひしひしと感じるのであります。(この追跡活動の総論→こちら)

ここに取り上げる分は、上述の@にあたる作例、すなわち「プレ-キュビスム」の典型であり、しかも完成度の極めて高い成果である訳です。

5 猿丸太夫
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
声聞く時ぞ 秋は悲しき

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遠近法的奥行き空間は設定されているのに、その構築性を明瞭にする重要要素を抜き去っているのであります。つまり奥行きに向かう水平面がまったく存在しないというこの事実。でありながら全体では奥行き空間をしかとイメージさせてもいるのであります。北斎はこれを可能にする場所として、もともと水平地面が存在しない複雑な地形を積極的に活用するわけであります。そのような設定をすることで、基準水平がないまま上下に自在な位置を得た形態を配置でき、その総体連携により結果的に遠近空間を成立させることが可能、という発見がここにあります。遠近法的奥行き感覚を残存させつつ、平面画面的構築性の最大効果を成立させることが、ここで目指されている訳であります。


52 藤原道信朝臣
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな

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この作例こそキュビズムの原点そのものというべきであり、卍期北斎最大成果の一枚と言う他ない重大作品であります。最初にぱっと見ると何がどうなってるのかよく解りません。じっくり判別していくと、画面奥半分の遠景部と手前の台地部の間に坂道があり、駕篭かきらが斜めに降りて行くその瞬時を描いている訳であります。北斎の狙うところは、一見手前と奥で遠近法的に一貫するように設定した奥行き空間を、坂を降りる強力な平面図像的構造体で破断させながら、尚且つ総体で遠近法と平面構造が上位の統合を果たすような操作を成すというものであります。北斎が遠近法駆使の果てに到達したこの新たな着眼は、明確にキュビズム理論の先駆であることは間違いないものと考える所存です。ようするに北斎としては遠近法に空間全体を統括させることよりも、それを解体的に用いることで平面構成的な空間配置に自由を与えることの方が絵画的可能性が大きいことにリアル反応している、ということであります。その方が絵画的強度が格段と発揮できるとの論理が、美術史上ここで既に完成していたのであり、北斎はそれに則りこうした実践に向かっていたのであります。「まぁ北斎は天才だから感覚的にやっていたら何気にこうなった」などというようなものでは断じてないのであります。(←我々にとってまずはこの理解が最大重要。)


26 貞信公(藤原忠平)
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今一度の みゆき待たなむ
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上の作例の着眼が徹底され到達した過激作例がこれでありましょう。この空間、ぱっと見、ますます何がどうなってるのか解らない訳です。要は小倉山のてっ辺の地面がさらに手前の寺の屋根で隠れてほんのわずかだけ画面に残っており、これが奥行き空間を暗示させる最低限の要素となってると。北斎はこの画面効果として要求される遠近法要素の最低限化に挑戦している訳であり、その完全なる成功がここにあると言えます。奥行き空間の暗示は限界的でありながらも、やはり絶妙に機能しております。画面のほとんどの形態は遠近法的にはちぐはぐで一貫性を拒絶しているようにしか見えません。配置される形状も相容れない様々な性格のものががっぷり組んだ状態。ところが、それらは奥行きベースでのより上位の絵画的統合を十二分に確立してしまっているのであります。これをキュビズムと言わずに何をそういうかである訳です。自分的には「百人一首うばがゑとき」中でも最も過激かつ完成度の高い作品ベスト3に入る一作であります。

全100首分が錦絵で計画された「百人一首うばがゑとき」だったのですが、残念ながら完成した版下画のうちの一部しか錦絵に置き換わっておらないのであります。版下画のまま残されたものの内に上記提示分と同じコンセプトで成されたものがあります。

31 坂上是則
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
吉野の里に 降れる白雪

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もしこれが錦絵に置き換えられていたならば、過激度としては上述の「26貞信公」に匹敵するか、あるいはしのぐ可能性すら感じるコンストラクションであります。人物と柱材と建物構造が連鎖的に画面右から左に不可分の絵画上の構築体として仕組まれているわけですが、なんと雪に埋もれた建物であるがゆえにその構築はわずかの奥行きにおいて雪に支配される全体空間とも不可分になっているのであります。入り口に人物が入っていくところだけでそれらは分離されてるような不可解空間が狙われているように思われます。雪の領域がほとんどなのでおそらく非常に限定的な構成要素でこうした状況が成立した可能性が高いのであり、版下画で留まったことが実に悔やまれる一作であります。


51 藤原実方朝臣
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを

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上述の作例に比べれば絵画的過激度はやや低い分類かもしれません。通常の遠近法的用い方の依存度はやや高い方であります。画面左の山まで抜けていく遠近法依存の領域と右の崖地から茶屋に渡るメカニックな構造は本来異質な絵画的性格を持つのですが、これを屋根と山の同調でつなぎ一貫的空間に見せようしている訳です。手前領域から山に向かう地平に対して、茶屋内部の水平構造の連動は完全無視であります(平行透視)。一番上の図版「5 猿丸太夫」もそうですが、崖地に存在する構造物というのはキュビズム的空間を実験するのに絶好の材料と北斎は見て取ったようで、「百人一首うばがゑとき」では連発されております。これらはまたいずれUPする所存で御座います。


〜さて、お楽しみの北斎配下の乳母による短歌解説ですが(笑 既に超過激な分は出しちゃってるのもあり、今回そこまでのものはありません。(でも必殺の数点はまだ残っておりますですw)
 ↓
過激にちょっかい出しているのはやはり「52 藤原道信朝臣」ですね。吉原で豪遊した旦那衆の朝帰り状況に完全塗り替えをやってしまっておりますw 過激度90%ぐらいでしょうか。「5 猿丸太夫」は基本的に歌の内容から逸脱していないと言えますが、当の鹿は画面左上の山頂にものすごくちっちゃく登場しており、山の作業から帰ってきた婦人方が「ああ鹿が鳴いてるね、特にめずらしくもないけどさ」みたいに描かれているあたり、深い瞑想により詠まれた歌の内容を軽く突っついてみたというところでしょうか。まぁこの程度であれば北斎的には歌人に対して大きな敵意はない訳ですw 「26 貞信公」においては、むしろこれは歌を尊んでいるので、絵の設定でも珍しく何の脱線もないのであります。こうなると乳母は急に聡明になるので御座います。「31 坂上是則」、これも芸術的メランコリアに対抗して、絵の側を無粋な現物庶民生活に書き換えてしまうという手口です。乳母の介入はこのパターンがけっこう多い。「51 藤原実方朝臣」はそれよりちょっかいの過激度多少高いです。歌は伊吹特産のもぐさにかけて恋の燃える思いをしたためたものですが、その「いぶき」はもぐさも売ってるらしい茶屋の看板に収まりきり、肝心の比喩に託された思いの方は完全消去となっております。まぁ「燃ゆる思い」などと書かれてあったら、もうこの乳母はとたんに張り切っちゃいますからね〜。





posted by コマプ墨田 at 01:05| 画狂老人卍関連